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若い頃(20才頃〜30才台前半)に兄弟で山に登っていました。 一番最初の山登りは、歩くのが好きだったな母親と次兄とで、 その後は次兄と2人で登っていました。 でもお互いに社会人になり、仕事が忙しくなってきたり、結婚をして子供が出来たりして、 自然と山に行くことが出来なくなってしまいました。 その後、仕事をしている間はあまりに忙しすぎて、山の事はすっかり忘れていました。 ![]() 30年近く経て、何の因果か少し早めにリタイアする事になり、 時間も出来てきたので山登りを再開しました。 兄弟で毎月1泊以上の山行をしたり、地元の山クラブで登ったり、 ハードな山は1人で登ったりしています。 兄弟で山に登るのは珍しい気はしますが、特に違和感もありません。 たまに、珍しいねと言われたりもしますが。 地元の山クラブの方達とも登ったりもしていますが、ヘビーな山だと年齢的に 登れる方が少なく、お相手がいなくて困っています。 ずいぶん前から綿密に計画していた、リタイア計画の中に「山登り」はありませんでした。 何事も、やってみないと分からないものですね
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昔の事 | 子供のころ | 最初に山に登ったのは、小学校の時に遠足で行った筑波山で、小学5年生頃だったと思いますから昭和42年頃です。 今だったらバスでつつじヶ丘まで行き、筑波山に登り女体山、男体山とめぐり再びバスまで戻るのが普通だと思いますが、当時はロープウェイができたばかりだったので、つくば神社からのケーブルカーだったのではないでしょうか? (当時の写真を小さく貼り付けてみました) ![]() 撮影の場所は筑波山の御幸平のケーブルカー乗り場の前だと思います。 今はこの辺もお店も少なくなってます。 面白いのは右側のコマ食堂が木造ですが、確かに今と同じ円形です。 とてもモダンな建物ですね。 その次に登ったのは、高校一年生の時に中学校の同級生のO君とと高尾山から相模湖まで歩きました。 確か同窓会をやる為の下見だったと思います。 |
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母親と登った事 | いつの事だったかは正確に覚えていませんが、その次に山に登ったのは大学生の時だったと思います。 次兄と3人で東京都最高峰の雲取山です。 母親は多分45才頃だと思います。 ![]() 想像するに電車で奥多摩駅まで行き、バスに乗り東日原まで行き、登り始めたのでは? 日原川林道から登り大ダワ経由で雲取り山荘までが初日です。 初めての山小屋泊りの事もおぼろげに覚えています。 二日目は七ツ石山経由で奥多摩湖畔の鴨沢バス停の様な気がします。 長い尾根を延々と歩き、途中でインスタントラーメンを固形燃料(メタ)で水を沸かして作ろうとしたけど、全 然お湯が沸かなかった記憶が有ります。 目的のバスの停留所でずいぶん待っていた記憶も有ります。 この辺のバスの時間も最近調べてみましたが、一日に数本しかなく、昔と変らないような気がします。 もう一度、このルートを1人でたどってみたいですが、時間がかかりすごく大変そうな気がします。 |
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山登りが目的だったかどうかは覚えていませんが、秋田駒ケ岳にも3人で登りました。 途中でステッキとスキットルを持った紳士風のおじいちゃんを見かけ驚きました。 でも雄大な草原の風景を見て感動した記憶があります。 ![]() 下山して乳頭温泉に入りました。 当時の乳頭温泉は山の中の池の様な露天風呂だった記憶が有ります。 |
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その次は多分、尾瀬だった様に思います。 次兄はもう会社員になったので忙しくなったのかな? ここは母親と二人です。 ![]() どこかのバスツアーで深夜に鳩待峠に着き、そこから至仏山に登り、尾瀬ヶ原を抜け、下田代あたりの 小屋に一泊した記憶があります。 至仏山の山頂で何故か甘いもの(みつ豆の缶詰、アンコ)を二人で食べていたのも覚えています。 翌日は朝早くに湿原の木道を歩くと表面に霜が付いていてツルツル危なかった。 尾瀬の山小屋は、学校の林間学校の様にたくさんの人がいて、食事時は廊下に並び大変でした。 そしてヒイコラ言いながら燧ケ岳を登り、どこから帰ったからは覚えていませんが、今でも一泊二日の尾瀬山行で、至仏山、燧ケ岳コースは結構大変です。 ![]() 当時は母親も元気だったのですね。 後は丹沢も登った記憶があるけど良くは覚えていません。 丹沢山、塔ノ岳、檜洞丸あたりだったけど? 当時、ダムを建設中だった宮ケ瀬あたりも記憶有り。 |
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最後は次兄と3人で夏休みに立山連峰の黒部に行きました。 多分、昭和55年頃だと思います。 クルマで扇沢駅まで行き、そこからトロリーに乗ろうとしたところ、母親の体調が急に悪くなり、そこで待っていると言い出して聞かないので、仕方なく車の中で休み、夜はふもとの大町温泉郷に行く様に言って二人で出発しました。 黒部ダムからロープウェイで大観峰に行き、そこから黒部湖を下に見ながら、急斜面登り始めました。 途中の東一の越あたりで(今となってはお笑いですが)何故か鉄製のフライパンで焼きそばを作って食べていました。 一の越山荘あたりでは雨になり、雄山の頂上では何も見えなくなり、3,000mの稜線で雨風に吹かれながら真砂岳あたりを通過した記憶があります。 どこを下って黒部川に着いたかは覚えていませんが、翌日は内蔵助平から黒部渓谷の日電歩道の断崖 絶壁を遡り黒部ダムの下に着いた時は、ダムからの放水できれいな虹が上に見えたのは覚えています 。 ![]() 今のコースとは違い、ダムの脇の階段をひたすら登り、トロリー内の地下道にたどり着き、バスで3日目に大町に戻ると、母親はまだクルマの中で寝ていたのにはビックリしました。 母親はかなりのめんどくさがりでもあったので、扇沢のトロリーバスのターミナルで3日間暮らしていたようです。 |
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兄弟で登り始めて | 次兄と二人とも理科系の設計者と言うこともあって、理屈っぽいところは似ているかもしれません。 山登りに関しても、志向はそれ程違いは無いので自然と二人で登り始めました。 私が会社に入って少し経ったころだと思います。 今と違って記録が残っていないので、登った山も忘れているところもあると思います。 私は勤め始めて、当時色々あったストレスの気分の転換が目的だったので、人が少なくて自然がたくさんある山が 趣味でした。 したがって、アルプスや八ヶ岳など人の多そうな山は敬遠していました。 登山路で行列を作って登るなんて、当時は考えもしませんでした。 ![]() 必然的に、東北や上越の山が多かった様に思います。 しかも、ヤブ山は雪山の方が登りやすいので雪山に登る事が多くなってきました。 若かったので積雪期のテントでの山行なんて大変なことをやっていました。 小屋泊りは、当時いやな目にも合うことがあったので、テント山行も増えていきました。 猛烈な吹雪の中、重いザックを背負って腰までの深い雪でのラッセル、何度も挫折して逃げ帰りました。 一歩足を前に出すと深く足が沈み、重心が大きく傾くと体制を立て直すのが大変です。 猛烈な風雪で前が見えず退却したこともあります。 八海山の急な登りの途中、あまりの降雪で空き地を見つけ三合目あたりで2日間ビバークした事もありました。 でも若かったので怖いものしらずだったのかな?、それから意を決して再び登り始めました。 これらの山域の山では、お酒やタバコなどは一度山に入ると入手できないので、大量に持って行きました(笑)
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再開してから | 軟弱登山クラブ | 次兄の定年後に、2人で山登りを再開しました。 次兄は少しリハビリの必要があり長時間の登山運動が出来ないので、5時間程度の山行にしています。 基本、毎月1回、2〜3日山に入ります。 山行の連絡や記録用にブログも開設しています。 相変わらずマイナーですが、自然があふれた山々を登っています。 昔は雪山や冬山もやっていましたが、今は少しだけです。 ![]() 年をとると寒さにも弱くなるし、バランス感覚が劣化してきます。 登りより下りが難しく感じます。 慎重に降りるので、目は疲れるし膝にも気を使い結構疲れます。 |
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雷鳥クラブ | 軟弱登山クラブだけだと行ける山が限られるし、もう少しタフな山に一緒に行ける人を探して登山クラブを探していました。 地元には、そういったサークルが少なかったので、隣接県のクラブにもお邪魔していたことが有ります。 そこは総勢100人くらいの比較的大きなクラブで、入会して1年間の間に夏山教育、冬山教育とかがあって認められると一般山行に参加出来ます。 でも、あまり堅苦しいそうなので参加は遠慮していたら、ネットですぐ近くのコミュニティセンターで会合をやっている地元クラブを見つけたので、現在はそちらに参加しています。 今は会の山行報告などのHP更新も担当しています。 ![]() ただ、年配の方が多いのでタフな山に行こうと思うとすると、体力的にかなり限られてしまうようです。 クラブ員の高齢化も問題かな? |
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その他のクラブ等 | 地元(だけでは無いけれど)の方たちが、SNSで連絡しあってハイキングや山登りを企画し、メンバーを募って実施している方たちもいます。 日程が会って問題が無さそうな企画に参加させてもらっています。 |
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とまどい |
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