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                              蕎麦めぐり               
 
全国津々浦々の手打ち蕎麦をカ日々食べ歩いて記録しています。
私の趣味は太打ちの「田舎そば」です。たまに蕎麦を打ちますがヘタです。
茨城、福島、山形、長野、福井の手打ち蕎麦が特に好きです。

  

日々の食べ歩きはこちらです

しばらく休業中でしたが再開(2019.04.20)

蕎麦めぐり(ブログ)


  






これまでに
 手打ちそば  きっかけ  50年以上前の子供のころ、自宅駅の近くに旅館業も営むらしい「何でも食堂」で、おそばを食べましたが、そこは茹で麺(当時、玉うどん、玉そばとか言って工場で作った小売り用の麺)も売っているところで、美味しくとも何ともありませんでした。
「玉そば」って言うのは、昔良くあった、
平置きの木枠の箱にガラスの覆いのショーケースの中に茹でた麺を丸く丸めたものが並んでいました。
今はビニールパックに入った
こんなのを言うみたいですが。


父方のおじいちゃんちに行くときに北小金駅の駅前にあった朝日屋なる、お蕎麦屋さんでも頂きましたが、やっぱり美味しくありませんでした。

そのうちにインスタントラーメンが普及し始め、良く食べる様になりました。
中学生頃になった頃かな?
マルちゃんの「天ぷらそば」なるインスタント麺を作り食べていましたが、結構おいしく頂きました。
これが美味しかった「そば」の最初かもしれません。
写真の袋麺は昔と少し違っていますが。


その次は、高校生のころに良く遊んでいた鈴木君がどこに行っても注文するのが「もりそば」か「かつ丼」でした。
「もりそば」とは高校生の割にはしぶい趣味でした。

当時のもりそばは、今と違い盛ってあるそばが長く、複雑に絡み合って食べるのがなかなか大変でしたね。
そば「つゆ」をざるに近づけて「そば」を手繰っては、長いまま「つゆ」につけて食べていました。
   
今はこんな風景は見られないですよね?



それから数十年たち、自分が30才を過ぎたころ、母親が福井の朝倉氏の遺跡に連れていけと言うので出かけました。
その際にたまたま立ち寄ったそば屋さんが何故か美味くて、福井のおろしそばにはまりました。
もう30年も前の事ですが、当時のお店のパンフレットも持っています。
      



それからは、福井のおろしそばだけではなく、山形の板蕎麦、長野の蕎麦、新潟の蕎麦、福島の蕎麦、最近では現在の地元である茨城の蕎麦をメインに全国の蕎麦を日々食べ歩いています。

       
東京都内にも良く出かけますが、都内のそば店は蕎麦を楽しむというよりは、雰囲気やお酒が中心なので、いただくことはかなり少ないです。

   蕎麦打ち  
20年ほど前、茨城県に転居した際に筑波山のふもとの村(当時)で、そば畑のオーナーを募集していました。

   

早速、それに応募してそば畑の種まき、刈り取り、蕎麦打ちまでを応募されたオーナーの方々と一緒に行いました。
   

それが、蕎麦打ちの初体験でした。
なかなか緊張しましたが、良い体験でした。



それを契機に簡単な蕎麦打ち道具を購入し、たまの休みにでもそばを打ったりしていましたが、いかんせんマンション住まいなので、粉の片づけなどがかなり厄介で、自然と遠のいていきました。
      
長い綿棒はどこかにいっちゃったかな?
蕎麦を切るときは「菜っきり包丁」を使っていました



数年前に地元市の公報で地元そば店の店主が「そば打ち講習会」を開くというので参加してみました。

   
その時は、久々なので色々と教えてもらいたかったのですが、常連さんの集会みたいな講習会で、教えてもらえず残念な結果となってしまいました。
   蕎麦めぐり  今から30年位前、1990年頃から手打ちのお蕎麦屋に興味を持ち蕎麦屋さんめぐりを始めました。

最初は当時住んでいた千葉県松戸市やその周辺です。

仕事も忙しかったので週末に時々行ったり、GWや夏休みなどの長期の休みには、福井県や長野県、山形県などに出かけては一日に何軒も食べていました。

当時は元気だったのですね(笑)

最初の頃の思い出はいくつかありますが、当時はまだ無名だった柏の「竹やぶ」にも母親と行ってみたら、あまりの蕎麦の少なさと値段にはびっくりしました。
松戸市内に何故か山口県の名物、高瀬の「瓦そば」屋さんが当時はありました。