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50才を過ぎてリタイアの計画をしたとき、最初に実行したのが、ダイエットと禁煙です。 この結果が私を走らせてくれました。 良く怠けますが(笑) ![]() 又、長距離のファスト・ウォーキングもたまに行います。 |
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マラソン | 走り始めた 動機 |
子供のころ、周囲から閉ざされた地区に住んでいたので、その地区の子供たち数人と毎日遊んでいました。 ほとんど男の子ばかりで、毎日の様に草野球をしていました。 当時、野球は好きでは無かったのですが、地区では他の遊びをしている子もいなかったので、仕方なくやっていました。 でも冬になると、大した洋服も着ておらずとても寒いので、毎日そこら辺の草原や田舎道を走り回っていました。 暖かくなるまで、マラソンの様にグルグル走るのです。 それから野球を始めます。 今でいうウォームアップだったのですね。 自分は何故か運動神経があまり良くなかったというか、コツがわからなかったので小学校の運動会の徒競走ではいつもビリでした。 兄貴たちは運動神経は悪くなかった様で、1等賞や2等賞になるともらえるノートや鉛筆なんかはもらったことがありませんでした。 大きくなって気が付いたのですが、決して走るのが遅いのではなく、スタートのタイミングが悪かったようです。 ![]() どんくさいというか、何というか(笑) そういう子でした。 中学校1年生になって田舎の学校でも「スポーツテスト」なる検査がありました。 100m走やら走り幅跳びとかの能力を試すものです。 当然、どんくさかったので、どのテストもあまり良くなかったのですが、生まれて初めて「1,500m持久走」なるものがあり、走ってみました。 するといつもの遊びの通り走ってみると、何と学年で2番目、クラスで1番のタイムが出て自分でもビックリしました。 確かに持久走(当時のマラソン)にはスタートのタイミングなんかは関係なかったのですね。 それからは自分でも不思議なことに運動関係に自信が付き、普通にスポーツ関係のクラブをやるようになりました。 ![]() まぁ、初めてやることはやっぱり「どんくさい」ので、意識してコツがあるんだと自分に言い聞かせて、それを掴むように心がけています。 この辺が運動神経の良い人と、そうでない人のちがいでしょうか? それから数十年たち長い社会人生活を経て、50才になり仕事や会社に見切りをつけ、次のステップを考える様になりました。 その一つとして、早期リタイアをすべくいろいろな準備も始めました。 いろいろとリタイア後にやりたい事とかをリストアップしていましたが、とにかくたくさん有りそうなのです。 それらを実行に移すのには、それなりに体が元気でないと、せっかく苦労して早期リタイアしても、お金や時間が無駄になるということに気づきました。 ![]() でも当時は長い会社員生活のおかげで、目も歯も体もくたびれていました。 体重も長い間にどんどん増えていって、二重アゴどころでなく三重アゴにもなる位太っていました。 これではいかん!と言うことに気づき、まずは週末に家の近くを歩くことから始めました。 そのうちに、毎朝仕事に行く前に、やはり近くの土手を歩き始めました。 ![]() 少しづつ足や体も慣れていき、歩く距離や時間も少しづつ増えていきました。 ある時テレビで、ダイエットにはある程度心拍を高めた運動が良い、と言うことを言っていたので、実際に歩きながら時々立ち止まっては心拍を測ってみました。 しかしちっとも自分の心拍の数値が低いのです。 そこで次は、歩く時のスピードをどんどん上げていきました。 背筋を伸ばし、手を大きく前後に振り、膝を意識して足を前に振り出します。 人の少ない田舎の土手の上を歩いていたので、周囲にあまり気を付けることなく、距離と時間をはかって時速を割り出します。 ![]() 腕時計タイプの心拍計も購入して使ってもみましたが、あまり具合が良くなかったです。 毎日毎日、早朝の暗い時に1時間ほど歩く限界速度まで歩いていました。 時速は何とか6.2〜6.3km/h 位までは出る様になり、週末にはその速度3〜4時間位は歩ける様になりました。 でも測って見ても、ちっとも心拍は上がりません。 それがもどかしくなって、ついにはゆっくり走るようになってしまいました。 最初は500m位走り、その後はいつもの様に歩き、といった事を続けました。 だんだん走る距離を増やしていきました。 会社に行く前の早朝、冬場は真っ暗ですが自転車につける小型ライトをお腹につけて土手を1時間位走っていました。 走り始めて2ヶ月くらいして、同じ県内で大規模レース(昔からあっていた様ですが気が付かなかった)があることを知り申し込みました。 それから2か月間くらいは、週末に10kmから20km位は練習で走り、2月にそのマラソンレースに参加しました。 わくわくどきどきの生まれて初めてのフルマラソンです。 それまでは20kmくらいしか走ったことが無く、今思うと最初からオーバーペースぎみで、20kmを超えると太腿が疲労し始めます。 ![]() 駅前から海へ向かうスタート直後の直線路 35kmを過ぎると、もう走れなくなり、歩いては少し走りを繰り返しつらかったでした。 でも40km地点をすぎ、あと2kmくらいになったところで、最後の力を使い猛スピードで走り競技場に入り、ゴールしました。 ![]() 生まれて初めてのフルマラソンは目標のサブ4(4時間切り)は達成出来ず、4時間15分でした。 35km地点からの急減速が原因です。 それまでは3時間40分ペースでした。 |
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実績 | 以後は冬場になると月に一回程度、1シーズンに3回程度、フルマラソンレースに参加していました。 目標は3時間45分でしたが、実績は4時間未満はほぼ50%でした。 4時間±15分でした。 ある時、近くにあった献血センターで献血でもしようかと思い行ってみたところ、初回と言うことで心電図検査を受けました。 ところが、その検査で医師に指摘されたのが「洞性徐脈」でした。 普通の人より脈拍が低いので、めまいとかが起こらないか? と聞かれましたが、今までそんなことは無かったので、多分「スポーツ心臓」なんだろうとの診断でした。 ![]() だから多少の運動では脈拍が上がらなかったのですね。 まぁ、マラソン向きの心臓なので助かりました。 でも50才過ぎてから君は「スポーツ向きの心臓」を持っていると言われても、もう遅かったですね。 でもその後、趣味で耕していた家庭菜園の大きな岩をどかしている時に、右膝をコジってしまい、数か月走れなくなりました。 ![]() しかし右膝をだましだまし、何とか月に250km位の走り込み練習をしていました。 ある真冬の能登半島のレース前、それまで仕事が忙しかったのですが出張先の琵琶湖湖畔で走り込みをした後に、参加しました。 その時は最初は調子が良かったのですが、2時間ほど走った後に右膝が猛烈に痛くなり、どうしても走れなくなりました。 でも地方のレースで参加者数も少なく救護のバスがなかなか来ません。 氷点下のみぞれの中、手足は凍り付き、ビッコを引きながら何とか4時間歩きゴールに着きました。 ![]() トータル6時間かかりました。 史上最悪のレースでした。 それからは膝をだましだまし走ってはいました。 2017年の館山の若潮マラソンのレースに出場した際に、10kmを過ぎてからは膝の痛みが激しく、どうしても走れなくなり、20km地点で初めてリタイアしてしまいました。 フルマラソンの出場履歴 (タイムは恥ずかしいので内緒) |
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膝の不具合 | そのは後あちこちの整骨院に通いましたが、気休めの温熱療法だけで全然良く治らないので、今度は地元の整形外科に行きましたがX線の撮影をしただけで、あとはシップ薬をもらいましたが、やはり良くなりません。 知り合いにいろいろ聞いたところ、評判の良い整形外科を紹介してもらい、そこで膝のCTスキャンで診てもらったところやっと「半月板の断裂」と診断され、手術をするか否か聞かれました。 手術すると2-3か月は走れないし、本当に治るか不安でした。 すると担当医の大学時代の同期が、少し離れたところの大きな病院「膝センター」を開設してるから、セカンドオピニオンを聞いてみあたらどうか?と誘われたので、紹介してもらいました。 そこで半月板の状況を詳しく説明してもらい、手術した方が良いか聞いてみたところ、治る可能性は50%位とのこと。 よく聞く症状なのに確実に治るわけでもないのですね。 ![]() それを聞いてからは、もう少し様子を見ることにしました。 |
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膝の経過 | それからは、走るたびに悪い右膝と正常らしい左ひざの痛みを比較しています。 でもやはり右膝の調子が悪く、困っています。 まだ手術するか否か、思案中です。 山登りも下りが3時間以上の長距離になると痛みが発生するようです。 −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・ 最近はいくら長距離の下りが続いても何の痛みも発生しなくなってきました。 しかも急登が続くハードな山登りを連日行っても、膝関節が腫れるようなことは無くなりました。 そこで症状が良くなったのでは?と思い再び走り始めました。 今度はゆっくりとですが。 4年ぶりにフルマラソンにも申し込んでいます。 完走が目的です。 2019年11月 −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・ |
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長距離の ファスト・ウォーキング |
動機 | ダイエットの促進のために歩き始め、だんだんスピードが上がってきた。 走るのはマラソンレースで十分だが、のんびり何かを考えながら歩きたくなってきた。 ![]() 冬は風が強いし、夏は暑すぎて歩けない。 春か秋辺りが良いかも 持ち物: ランニング用のウェストポーチかショルダー、スマホ、予備バッテリー、現金など、ティッシューなど、非常用の薬 イヤフォン、ゴムバンド(上着押さえ) |
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履歴 | 2014年3月 自宅から水戸駅までの70kmを歩く。 自宅 3:00出発→6:30 土浦の吉野家で朝食→12:30 茨城町のそば屋で昼食→15:30 水戸駅着 一杯飲んでから電車で帰宅する 時速はおよそ6km/hちょっと、休憩は30分×2回程度、たまにコンビニで水分補給した。 歩いているときは寒くは無いが立ち止まると寒いし、腕肩を動かすので荷物はそう持って行けない。 ランニングポーチか小型ザックの改良が必要と思った。 |
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2019年4月9日 目標:自宅から銚子の犬吠埼までの96kmを実働16時間で歩く(平均時速6km/h) 22:15 自宅発(直前まで雷雨だったが、何とか雨が止んだのを確認して出発) 24:20 利根川の土手に到着(若草有料道路橋) 5:55 香取市佐原に到着、牛丼店にて朝食 6:20 佐原市内から利根川土手に向かう 12:10 銚子市に入ったところで昼食 14:25 銚子駅前 15:30 犬吠埼灯台に到着
かかった時間は 17時間15分 休憩時間は朝食25分、昼食20分、他にトイレ休憩やアイスコーヒーを2回購入して休憩が30分、合計1時間15分 したがって歩行時間16時間、平均時速6kmの目標達成、ものすごくしんどかった!。 最後はビッコを引きながら何とか平均時速6kmを維持したが、到着後は右足の裏がマメだらけ、両膝の裏側が痛くて歩けなかった。 温泉へ行くのに車いすが欲しかった(笑) |
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次回はどこに行こうか検討中、候補は 1)海沿いに水戸経由で日立まで100kmを1泊2日 2)小貝川、鬼怒川を北上して100km(どこまでいけるか?) 3)6日間位かけて日本海まで300km(自宅〜新潟)、但しどうやって関越トンネル部分(群馬−新潟県境)を通るか?? 4) |
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他 | マラニック とか |
マラソンをしながらピクニックをすると言うイメージから生まれた言葉です。 3年ほど前にSNSで知り合った方達(全3人)と赤羽から勝鬨橋までの30kmをマラニックで走ったことがあります。 初めて会う方と、朝10時に赤羽駅に集まり、途中でお昼を食べて、最後は勝鬨橋でお疲れさんと言い合って解散です。 たまには面白いかな? とは思ったのですがそのSNSが突然なくなり、以後はありません。 |
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ハイキング | SNSで集まって行うハイキングもたまにしますが、これも似たようなものですね。 |
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