戻る

  バイク、車
 
三十年ぶりの復活をもくろんでいます。 
 あの風を切る感覚はたまらないですね!
今はおじさんライダーばかりですね。
大型免許を取らねば、、。


  

  

(写真は上段左から トヨタ2000GT、コスモスポーツ、セリカ1600GT 
             下段左からスズキGT380、カワサキZ400FX、ホンダCB400FOUR) 

クルマもバイクもこれまでに、たくさんの思い出も有ります。

 バイクについて   原付の時  
友達のS君が自動二輪に乗っていてバイクに乗りたかったので、免許を取るために高校を休んで、隣駅にある隣町の警察署に朝出かけた。

ところが学校も近くにあったので、音楽の先生に出くわしてしまった。
何とかごまかして警察署に行き、警察署の体育館で講習を受けた。

その後はラーメン屋での出前のバイトでバイクを借りて乗っていたり、S君とそこら辺を走りまわって遊んでいた。


ラーメン屋のバイトは勿論 ホンダのカブ
何故か、キースイッチの配線を直結して使っていた(危ない?)

これを借りて家まで乗って帰っていた。
    

当時の道路事情は悪かったので、たくさんの品物を積んで、雨の日の夜に大きくへこんだ砂利道を通って配達に出かけたら、荷台が外れてラーメン類が落下、雨の中湯けむりもうもう。

すぐに帰ってラーメン屋の主人に謝って作り直してもらい、もう一度その道(しか無かったから)を慎重に通るが、再度荷台が外れて同じ目にあった。

もうその主人が「今日の出前は無理です」謝りに行ってくれた。
遠い高校生の時の苦い思い出があります。

今だったら、もう少し頭を使ったと思うが。


Sくんちの親戚の家で借りて乗っていたのは、ホンダのダックッスホンダ (多分 ST-50) だった。

    


S君が乗っていたはこれ(スズキ・バンバン90?)

    


中学の同級生のI君は当時の最先端のバイクCB750を乗っていた。 

    

自動二輪免許
会社に入り自動車の免許を取り、一息ついたところで再びバイクに乗りたくなってきた。
当時は独身貴族で時間もお金もあったのでしょう。

近くの自動車教習所は結構混んでいたのと、知り合いに会うのも嫌だったので、隣の件の田舎の教習所に通いました。
(当時は自動二輪の免許は高校生のガキンチョしか取らなかったので少し恥ずかしかったのもあった)

    

わざわざ、クルマ(サニー)に乗って1時間以上かけて教習所に行き、近くの線路際(田舎なので駐車禁止でない)にクルマを止めていた。
ところが、そのうち近隣からクルマに乗ってきて教習所に行っていると噂がたち、後で怒られた(笑)

    
  免許と取った時はヤカンタンクのホンダ・CB400ホークTでした(写真はホークU)

その田舎の教習所の近くに今は住んでいます。

当時は今と違い教習所で取得できる自動二輪の免許は400CCまでで、それ以上の免許(限定解除)は県の試験場で一発実地試験でとるしか方法はありませんでした。
しかも、その合格率は数パーセントと言われていましたので、取り合えず免許証は400CC(中型に限る)となっています。

 自動二輪
中型免許証の取得後は、会社の営業課長が乗っていたバイクを安く譲ってくれるというので、調布までS君と取りに行きました。

ところが、彼の家に行くとバッテリーが上がっていたり、帰り道の甲州街道の新宿伊勢丹前でエンコしたりして大変な目にあいながら持ち帰って記憶があります。
カワサキ KZ400(FXの前身で大人しい機種で人気無しだった)

  

このバイクであちこち出掛けた記憶があります。
でも400ccなので税金や任意保険も高く、クルマと一緒の保有はさすがに無理で諦めました。
現在  
現在はマンション住まいなので、原付程度の駐車場しか確保できないので、バイクは持てないのが現状です。

    


出来れば、オフロードバイクが欲しいのですが

    

 車について         小さい頃  
小さい頃からのクルマ好きでした。
家は貧しいのでクルマなんか持っていなかった(大昔は外車にお手伝いさんがいたとか聞いたことがありますが、私が生まれてからはぜんぜん、、、)

近くのS君と近くの国道沿いに毎日行き、目の前を通るクルマの種類の当てっこや、珍しいクルマを見たとかの自慢をしあっていました。
結構首や目が痛くなりました。

昔を知っている人には、未だにバカモノ扱いされています。(笑)

     
            トヨタ1600GT

そして免許が取れる年齢のころ(学生時代)には、極度の貧乏だったのでクルマなんか考えもしませんでした。
免許  会社に入りお金にも困らず、遊びに出かけるのにクルマの免許が必要なため、近くにあった日立運輸系列の自動車教習所に通うが、会社を中々休めず苦戦しつつ、やっと卒業しました。

当時は平日の昼間にいい若いもんが教習所に行くと、(大体ガラの悪い人が多かった)教官から、仕事していないの?とあきられ顔をされるような時代であった。
 
自動車教習所で乗っていたクルマはこれ(マツダ・ルーチェの2代目)

    

国道6号線を走るときは、もうヒビクビクもんで怖かった。
当時は高速教習などは無かった(近くに高速道路なんて無かった)

東北自動車道は岩槻〜東根、関越自動車道は大宮〜前橋、中央自動車道路は勝沼までだった。
首都高速道路に乗るにはわざわざ都内まで行き、向島から乗っていた。

だから高速道路に乗るまでが遠くて大変だった。
最初のクルマ  
 サニー1200DX シルバー (詳細型式は不明だけどハッチバックだった))
    
 次兄が岐阜の現場で買ってきた他人ナンバー(借金のカタらしい)のクルマ
だから税金は払っていなかった。
カーステレオもエアコンも付いていなかったが、トラック用のホーンが付いていてうるさかった。

夏場は窓を全開に開けなきゃならないし、助手席にはラジカセを置いて鳴らしていた。

NAPSの53年規制(?)のせいか馬力が全然無く、筑波山に行ったらエンジンがスカスカ鳴っていた。(笑)

ボディの塗装がヤワで、ある日先輩がフェンダー部分に手を付いたら大穴が開いてしまった。
銀色のガムテープを張っていたが、だんだんその幅が大きくなり、しまいに高速道路で全部はがれた。トホホ
二番目  
 スバル・レオーネ
 シルバー4WD(日本最初の4WDセダン2代目)を兄弟で購入

   
山に行き始めたので、当時出始めた4WDとやらを中古車で購入してみた。
でも直前まではブルーバードU2000のはずだったが、直前で雹にやられて変更した。

まだパワステでも無かったので、4WDに(当時は手動でギアをエイと)切り替える必要があった。
するとハンドルの重いこと! 止まっている状態では重くて絶対にハンドルは切れなかった。

三番目  
ジェミニ
・ハードトップ白(写真は2代目前期型ですが、実際は後期型)
次兄が結婚して子供もできたので自分だけで購入

    

 初めてのパワステ、オートマ車
このクルマで全国を走りました。
四番目  
ブルーバード
 2000(U13ハードトップ)グリーン

     
 茨城県に転居し長距離通勤するのでクルマを買い替えた。
30万キロまで走りました。
五番目  
セフィーロ  A32 2.0ST(青)

    
 長距離通勤車の2代目、このクルマも28万キロまで走りました(エンジンはブルーバードと同じ系統)
六番目  
エクストレイル
 T31 4WD後期 2.0GT(赤) 現在のクルマ

    
 リタイアして山に行くクルマが欲しくなり、オークションで購入した。
マンションの駐車場に置いておくと、来客車にぶつけられたり、カバー類が盗難にあったり大変

次は何にしようかな?